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創業エピソード

10分でわかる!サイバーインテリジェンス創業エピソード

こんにちは、サイバーインテリジェンスの渡辺誠司です。

サイバーインテリジェンスの祖業であるホームページ制作を始めたきっかけは、私が会社員時代の経験が原点となり今に至ります。今だから言えるエピソードもありますので、たくさんの方に関心を持っていただけると嬉しいです。

 

それでは、どうぞ!

 

 

 

会社員時代はブラック企業で叩き上げられ、29歳でプロジェクトマネージャーに抜擢!ホームページ制作事業部を立ち上げ1億円事業へ。

私が、サイバーインテリジェンスを立ち上げる前の会社員時代は、法人向け営業を15年程やっていました。

ご存知かもしれませんが、通信系の営業会社は、今で言う「ブラック企業」がほとんどなので、長時間労働や残業代未払い、休日出勤は当たり前でした。さすがに今は労働環境も改善されたと思いますが、最近世間を騒がせている労働問題のニュースは、当時と比べると可愛いものです。

自分自身も精神的に壊れかかっていた時期もありましたが、今になって経営者どうしで話をする時は「俺の会社員時代なんて、もっとメチャクチャだよ!」と、苦労話の品評会では重宝しています(苦笑)

 

 

トップ営業マンから営業部マネージャーへ

営業会社と言えば「営業力=精神論」というのが根強い世界なので、体力的にも精神的にも鍛えられました。

たまたま運良く契約が重なり、26歳のときにNTT西日本の法人向け代理店営業の部で全国トップの営業成績を記録したこともあります。その後、営業部マネージャーに昇格して、部下のマネジメントや事業部全体の売上管理、販売管理、労務管理、人事管理など「経営管理」を学んだことは、自分が経営者になって大変役立っています。

 

 

すでに後発だったホームページ制作事業に新規参入

29歳の時に、会社の方針でホームページ制作事業に新規参入することになり、なぜか私が事業部責任者として立ち上げを任されることになったのです。正直、その時は「いまさらホームページ業界に参入するなんて遅すぎるよ!」と、あまり乗り気ではありませんでした。

それもそのはず!今まで、WEBデザインやHTML、SEOという世界とは、まったく無縁の営業部だった私にとっては「ホームページのホの字も知らない」という異業種もいいところです。

会社からの無茶振りとは言え、社風的に「失敗したら降ろされる!」という危機感もありましたので、まずは会社のサーバーを管理しているシステム業者に頼んで、基礎的なことを勉強させていただきました。

営業経験が長い私にしてみれば「石でもダイヤモンドだと思えば売れる!」という世界でやってきましたので、ホームページ制作が後発ビジネスとは言えども、次から次へと契約が決まり、嫌々スタートしたはずが気がつけばWEBの世界にのめり込んでいったのです。その後、各事業部の営業マンを10人ほど選抜して、ホームページ制作そのものは「オール外注」という体制でスタートしました。

 

ホームページは「売れる営業マン」のセールストークと同じ

実際にやってみて分かったことですが、ホームページは単なる会社案内を作っても集客できるはずがなく、売れる営業マンの「営業トーク」の流れを再現しないとダメだとわかりました。

 

実際の営業に例えてみると分かりやすいのですが、どんなに良い商品でも営業マンの第一印象で契約の9割が左右される点においては、ホームページのファーストビューで9割決まることと共通点があります。

 

今でもお客さんに説明していることですが「ホームページのファーストビューは、営業マンの第一印象と同じなので、どこで・誰が・どんな商品を・どのように提供しているのか、誰が見ても分かるように写真とキャッチコピーを工夫しないと話も聞いてくれませんよ。とにかく考えさせてはダメです!」と説明すると、すごく納得してもらえました。

 

また、商品の見せ方については「売れている営業マンのかばんに入っているプレゼン用資料を、パソコン画面の中で上から順番に再現すれば、売れる営業マンのトーク内容と同じです」と説明すれば、これも納得して頂けます。

 

営業マンが、お客さんに会社紹介や自己紹介するときのトーク内容も同じです。

売れる営業マンほど「ほとんど商品説明はしていない」という事はご存知だと思いますが、それはホームページの世界でも同じことです。

ときどき、ホームページにすごい細かい情報を載せたがる人がいるのですが、そういう時に「重箱の隅をつつくような商品説明ページを作る前に、まずは『本当に大丈夫な会社なの?』と信頼できるかどうかを先に教えてあげないと、商品説明なんて誰も聞いてくれませんよ。世の中には似たような商品や、もっと安い商品だってあるわけですから、商品内容や価格で比較されるだけですよ」と説明すると納得してくれるのですが、これは営業マネージャー時代に、部下に教えていた内容とまったく同じ内容です。

営業経験のある方は分かると思いますが、売れない営業マンほど商品説明が上手いのですが、その反面では、そもそも「あんた信用できるの?」というコミュニケーションが苦手なので、どんな良い商品でも売れないのと同じなのです。

 

この時になって初めて、いままで苦労してやってきた営業ノウハウが役立ち「この仕事は面白い!」と思ったのです。

 

 

ファックスDMで小冊子プレゼントが大当たり!全国FC展開で売上1億円事業に成長

営業の方はカタチが出来てきたのですが、そもそもホームページ制作事業は後発ビジネスなので、見込客をどうやって集めるのか?それが一番の課題でした。

営業会議では「顧客リストを使ってテレアポやってみたらどうか?」という古典的な手法や「チラシを持って飛び込み営業はできないか?」という時代錯誤のアイデアしか出てこない中で、それを全て拒否して独自のやり方で成果を挙げました。

 

それは、ファックスDMによる見込客の開拓です。

 

この時、私は会社が顧問契約しているマーケティングコンサルタントから「戦略とは何か?」ということを学ばせてもらっていたので、ここでその力を試してみたかったのです。

 

ちょうど、この頃が一番勉強しました。

年間100冊以上のビジネス書を読みまくり、通勤途中もビジネスCDを聞きまくって、マーケティングやセールスライティングを勉強していたので、ちょっと自信があったのです。

 

これが、その当時のFAXDM原稿です。(お見せできませんが…)

いきなりホームページ制作の申込みをもらうのではなく「小冊子プレゼント」というオファーが大当たりしました。

 

この原稿一枚で、営業マンは会社から一歩も外に出ることなく、事務所で待っているだけで見込客から電話が掛かってくるという、夢のような仕組みが何年も廻り続けました。

 

あれよあれよと言う間に3年が経ち、このホームページ事業を全国にフランチャイズ展開もしました。そして、気がつけば1億円の売上を叩き出す事業に成長していました。

 

 

一度目のルビコン川を渡る

この時、私は34歳。

年収も700万円以上あり、家を新築して住宅ローンも始まったばかり…、

たくさんの部下もいて、会社の幹部クラスというポジションで、まさか独立なんて血迷ったことは誰も想像していなかったと思うのですが、このまま会社に言われるがまま働くことに夢がなくなったのです。

 

いま、自分が経営者になったので分かるのですが、

会社は、どんなに良い商品を持っていても、時流に乗れなかったらアッという間に赤字になります。

そして、経営者が過去の栄光にあぐらをかいて、新しい変化を拒んだら確実に衰退していきます。

 

私は、ドラッカー流の経営マネジメントを学んでいたので、勉強すればするほど会社に対して違和感が沸いて来てしまったのです。すでに充分すぎるほど儲かっている会社なのに、いつまでも売上至上主義で「儲かれば良い。代わりの人間ならいくらでもいる」という、ブラック体質から変わろうとしない社風に嫌気が差したのです。

 

その気持ちを押し殺して仕事をしていたのですが…、

ある営業マンがクレームを起こして、私一人で謝罪しに行ったときのこと、そのお客さんに言われた一言で「ルビコン川を渡る」決意をしました。

 

実は、謝罪しに行ったつもりが、すでに怒りが冷めていたので雑談になったのですが、ふと話の流れで「渡辺さんは独立しないの?」と聞かれ、あやふやな返事でごまかしたのですが、どうやら読まれた?みたいで「チャンスという川に1億円の現金が流れてきたときに、君は準備運動してから川に飛び込むのか? チャンスの神様はヒマじゃないから二度と来ないぞ!」と強く言われたのです。

 

今の自分だったら「ふ~ん」と流せるのですが…、当時は、世間知らずの会社員で、まだ無垢の心を持っていたせいか、その一言に衝撃を受けたのです。

年齢的にも、体力的にも「いま決断しないと絶対に後悔する!」という波がやってきて、後先考えずに退職願を出したのです。こういう人のことを「熱しやすく冷めやすい、お手本のようなAB型」と言います(汗)

 

もちろん、家族には説明したのですが、3ヶ月前に自宅を新築したばかりで、通帳には「預金残高30万円」しかありませんでした。しかし、貯金が増えるまで待っていたら「準備運動しているうちに期を逃してしまう!」そう思ったのです。

そもそも、ゼロから開業したら貯金が1000万円あっても1年で消えて無くなります。それが2000万あったところで「まだ貯金があるから大丈夫だ」と勘違いするだけです。

 

結果論で言えば、この時の判断は正しかったわけですが、これを誰かにオススメできる話ではありません。

とくに独立願望の高い人は、こういう話に影響されやすいので注意してください。そんな簡単に上手く行きませんから!

ときどき、本当に会社を辞めちゃう人もいますが、男のロマンだけで生活できませんからね!

 

 

34歳で「資金なし、事務所なし、人脈なし」で開業
最初の5年間は六畳の子供部屋でパソコン一台からスタート!

2009年7月に会社を辞めて、ハッと気づいたのですが…

「勢い良く独立したけど、仕事が何も無い!収入の予定も全く無い」ということに初めて危機感を感じました。会社を辞めることに意識を集中し過ぎて、どうやって生活していくかということは全く考えてなかったのです。

 

これでは、独立という名の「無職と同じ」です。

 

私は、会社員時代のお客さんに手を出して、古巣と揉めたくなかったので、まったくゼロからお客さん探しを始めたのですが、何年もマーケティングを勉強していたので、ある程度の自信がありました。

 

ただ、資金力が無さすぎて、マーケティングに使う広告費が無かったのです。

もちろん、事務所を借りるような余裕はありませんので、仕事場はふだん使っていない「六畳の子供部屋」です。そこにあるのは、使わなくなった古いダイニングテーブルと、ノートパソコンのみ。おまけに、会社員時代はずっと事務所の中にいたので人脈もゼロ。

 

本当に「資金なし、事務所なし、人脈なし」の無い無いづくしでスタートしたのですが、会社通勤しなくてもいい時間的な豊かさと、なんの保証もない経済的な不安定さとの葛藤を行ったり来たりしていました。

 

 

ジャスダック上場企業の仕事を受注!しかし…

開業して間もないころ、ある人からの紹介でジャスダック上場企業の副社長を紹介していただきました。

東京都心の超高層ビルにある応接室に招かれ、プレゼンするチャンスをもらったのです。

 

あまり詳しく書けませんが、まったく無名の私にとってはあり得ないような大きな話だったのですが、得意のプレゼン力で「営業現場の改善コンサルティング」を受注しました。

 

しかし、喜びも束の間…、この仕事をやってみて「自分の実力の無さ」を痛感しました。

一言で言うと、サラリーマン感覚が抜けきっていない一年生社長に、上場企業のコンサルティングは荷が重すぎたのです。

 

年間契約を提案できる場もあったのですが、あまり自信が持てずに単発契約で終了しました。

やっぱり、自分の身の丈にあった仕事で実績を作ることが正道だと、苦痛を感じながら分かったのです。

 

最初の1年が、いちばん苦しみました。

仕事もお金も無い経営者というのは、言葉で表現できないほど憂鬱で、寝ていても汗だくで目が冷めてしまい夜も眠れません。今でも忘れられないのが「月末の預金残高が180円しかない!」そんな月もありました。この頃を思い出すだけで、胸が締め付けられるほど苦しくなります。(まだ笑い話になっていません)

 

中小企業白書では「会社設立から5年以上続く確率は約15%、10年以上存続する確率は約6%」という会社生存率が公表されていますが、個人事業主を含めるともっと悲惨な数字です。

そのくらいゼロ創業というのは大変なことで、自分が持っている「運と実力」を全て使わないと生きていけないことを、身をもって分かりました。

 

 

自分の持ち味とは何か?

ここで思ったのです。

自分が今までやってきたことは、他の誰にも真似できないし「この経験を必要としている人と仕事をした方が上手く行くはず」だと。

 

誰にも真似できない「自分の持ち味」とは?

  • ブラック企業でも通用するほどメンタルが強いこと。
  • 全国トップの営業成績になったこと。
  • 当時最年少で営業部マネージャーになったこと。
  • ホームページ制作事業をゼロから立ち上げたこと。
  • ファックスDMでレスポンス営業に成功したこと。
  • セールスライティングを勉強して小冊子が書けること。
  • 全国にフランチャイズ展開したこと。
  • 1億円規模のビジネスに成長させたこと。
  • 1000社以上のホームページ制作に関わってきたこと。

 

自分は自分。他人は他人。

人は誰もが、自分に自信が持てない時に、自分には無い「他人の持ち味が光り輝いて見える」そんな時もありますが、他人の真似をしたところで、その人になれるわけがないのです。それに気づくまでに何年もかかってしまいましたが、自分の持ち味を活かして、セミナーを開催したり、紹介をいただいたりして、不思議とお客さんが増えていったのです。

 

正直なところ、なぜお客さんが増えたのか聞かれると、ハッキリ言って「運が良かった」としか説明できませんが…「運も実力のうち」ということわざ通り、運を掴めるだけの行動力があると思っていただけると嬉しいです(笑)

 

ここまでが「エピソード1」です。

サイバーインテリジェンスの原点であり、今も大切にしている創業魂です。

 

 

二度目のルビコン川を渡る勇気はあるか?
サイバーインテリジェンス第二創業エピソード

「ルビコン川を渡る」という言葉をご存知でしょうか?

ローマ時代の故事ことわざで「重大な決断や後戻りできない事を覚悟を持って行う」として使われる言葉です。

 

ここからが、サイバーインテリジェンスの第二創業エピソードです。

 

もともと、私一人でやっていた時代は「セールスブレイン」という会社名で、WEBコンサルティングを専業にしていました。そうすると、自然とホームページの作り替えの話に発展していきますので、依頼を受けたホームページ制作のWEBデザインからWordPressのコーディング作業を、旧サイバーインテリジェンスに外注していました。

 

「旧サイバーインテリジェンス」と呼んでいる理由は、まだ私が経営する前の時代と区別するための、社内用語みたいなものです。

 

今思えば、何気ない会話から始まったのですが、

私が開業して間もない頃、ある知人がアメブロをやっていて「こんな便利なソフトあるの知ってる?」と教えてもらったのが、アメブロ集客支援ソフト「アメーバKING」というソフトです。

このとき、初めてアメーバKINGの存在を知ったのですが、あまりの完成度の高さに驚き、どこのベンチャー企業が作ったのか運営会社を見てみると「岐阜県各務原市のサイバーインテリジェンス」と書いてあり驚愕したのです。

「岐阜でこんな凄いソフトを作る人がいるんだったら一回会ってみたい」と思い、すぐに電話して会うことになりました。それが山田社長との出会いです。

 

山田社長は、アメーバKINGの開発以外にも、アメブロカスタマイズやホームページ制作をやっていたので、意気投合して仕事を依頼するようになったのがご縁で、仕事でもプライベートでもお付き合いが始まったのです。

 

 

ホームページ制作部門を丸ごと引き受けてもらえませんか?

2014年の春、山田社長から相談がありました。

「これからはシステム開発一本でやって行きたいので、ホームページ制作部門を丸ごと引き受けてもらえませんか?」

 

つまり、部門ごとの事業譲渡(M&A)です。

 

私は、いつも「サイバーインテリジェンスみたいな会社が、自分のものになったらいいのにな」と思うほど、ホームページの制作クオリティが素晴らしく良かったので、そういう制作スタッフがいれば、自分はもっとコンサルティングに力を入れることができると思っていました。

 

しかし、現実問題として経営がやっていける自信はありませんでした。

考えてみてください。ある日突然「今日から私が、あなたたちの社長になりました。よろしくね!」と言われても、既存スタッフが全員ついてきてくれると思うでしょうか? もしかしたら、経営者が変わったら全員辞めるかもしれませんし、社風が変われば既存客も離れていくかもしれません。実際に、世の中のM&Aは「70%が失敗している」と言われていますので、上手く行く保証は一つもありません。

 

このまま一人で細々とやっていくのか?

それとも、会社組織にして次のステージに行くのか?

 

二度目のルビコンの決断がやってきました。

 

 

銀行に相談しても門前払い

ダメ元で、銀行に行って融資の相談をしたのですが、いろいろ難癖をつけられて相手にされませんでした。門前払いです。

もともと銀行は当てにしていないので、落ち込むことは無かったのですが、これで自己資金だけでやる決断ができました。

 

今だから言える話ですが、

資金ショートしたら、自分の給料を削ってクルマを売れば現金が作れる思っていましたし、いままで綱渡りみたいな生き方をしているので、なんだかんだ悩むけど最後は上手く行くというイメージはありました。

 

それに、営業マネージャー時代は、アルバイトを含めて20人以上の部下がいましたので、コミュニケーションは得意な方です。どんな事情があっても、誠実に接していけばきっと信頼してくれると思っていました。

 

気持ちの整理ができた段階で山田社長に会いに行き、引き受ける覚悟があることを伝えました。

そこから細かい条件を詰めていき、既存スタッフにも事情を説明して、新体制のサイバーインテリジェンスに付いて来てもらうことになったのです。

 

それが、いまWEBディレクターをやっている田口と、誰よりも会社の歴史を知っているプログラマーの小森です。

 

 

新設法人としてサイバーインテリジェンスを登記

このM&Aは、説明がややこしいのですが…、

旧・サイバーインテリジェンスのスタッフや既存客に対して、セールスブレインという会社名に変更すると混乱すると思ったので、違和感の無いように、私の会社名を「サイバーインテリジェンス」に社名変更しました。

初めての経験だったので段取りが悪かったのですが、数ヶ月間はサイバーインテリジェンスという会社が、同時に2つ存在していたので、郵便局や役所を混乱させてしまいました。

 

社名も所在地も電話番号もホームページURLも、なにもかも「旧・サイバーインテリジェンス」のまま譲渡してもらいましたので、表面上は何も変わっていません。

何も事情を知らない人からは「社長が交代した」ように見えますが、山田社長が経営している「旧・サイバーインテリジェンス」は、株式会社シーアイエスという社名に変更していますので、法務局の登記上は全く別の会社です。

山田社長とは、現在もプライベートでお付き合いしていますが、資本関係はありませんので子会社でもなければグループ会社でもありません。それぞれ別の会社です。

 

 

お互いの遺伝子情報を組み合わせたら誰も勝てない会社になった!

新体制のサイバーインテリジェンスには、2つの遺伝子が存在しています。

まず、私自身が「営業の本質を知っている」ので、どうやって人が動くのか?という行動心理学をよく分かっていること。

営業以外にも、経営・会計・労務・マネジメント・マーケティング・ライティングなど、売上アップに必要なことはもちろん、色彩心理学・認知心理学・児童心理学など、学問レベルのことを勉強しているので、安っぽい営業マンが言っている「営業」とは違うと思っています。

 

そして、WEBデザインやWordPressのカスタマイズなど技術系スタッフは、旧サイバーインテリジェンス時代から実力を積み上げています。とくにWordPressのカスタマイズは全国でもトップクラスです。

過去12年で、2社の経験を合わせると「のべ2000社以上」のWEBコンサルティング実績になります。

 

 

うちに勝てる会社は存在しない

私たちのようなIT業界は、他と何がどう違うのか絵になりにくいので、世の中のホームページ制作の「よくある3つのパターン」で比較説明します。

 

●パターン1「営業会社」

営業は上手いが、制作できる技術系スタッフがいないので、受注した案件は外注業者に丸投げする。

※「集客できるホームページにしませんか?」と7年リースで契約しておいて、いい加減なホームページを作って音信不通になる悪徳系はこの部類です。

※広告代理店のホームページ営業もこの部類に入ります。

 

●パターン2「システム屋さん」

システム開発は得意だけど営業は苦手なので、営業会社の請負いが多い。

※WEBデザインは専門ではないので、デザイン的にNGなホームページになることが多いです。

 

●パターン3「デザイン屋さん」

WEBデザインは得意だけど、HTMLやSEOが分からないのでテンプレートに当てはめることが多い。

※チラシ広告や雑誌広告が得意なのグラフィックデザイナーと、WEBデザイナーは違う職種なので、デザインができるからと言ってホームページが作れるとは限りません。

 

ちょっと過激な表現もありますが、いまだに悪徳系リース販売している業者も存在しているのが、この業界の現状です。

ちゃんとやっている制作会社もありますが、サイバーインテリジェンスは「よくある3つのパターン」と比較すると、どれにも当てはまりません。営業もシステム開発もWEBデザインも、全て高いレベルで内製化していますので、傲慢な言い方かもしれませんが「うちに勝てる会社は存在しない」のです。

 

いま、サイバーインテリジェンスが選ばれている理由も、この2つの遺伝子のような強みを組み合わせているからです。

 

 

三期連続で増収増益を達成!三度目のルビコン川を渡る覚悟はあるか?

ここまでが、サイバーインテリジェンスの創業エピソードです。

私一人でやっていた時代にサイバーインテリジェンスみたいな会社が、自分のものになったらいいのにな」と思っていた頃、まさか現実になるとは夢にも思っていませんでした。

 

肝心の経営状況も、スタッフ皆の協力で三期連続で増収増益を達成しました!

結果だけを見ると「あの時の不安は、いったい何だったんだ!」と思いますが、その緊張感が良い結果を作っているので、ここで気を抜いたら終わりです。

 

100社あれば100通りです。

 

自分は自分。他人は他人。

自分に集中して、他人と比べないこと。光も影もすべて自分。

 

これから先、いったい何が起こるか分かりませんが、

もし、重大な決断を迫られたら、もう一度ルビコン川を渡る覚悟を持っています。

 

2017年8月18日 更新

 

 

余談ですが、門前払いされた銀行が…

半沢直樹のドラマでは「銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を貸す」と揶揄されていますが、それはドラマの世界だけだと思っていました。実は、山田社長からM&Aの話が来た時、融資の相談に行った銀行からいろいろ難癖をつけられて門前払いにされたのですが、今になってその銀行から「ぜひ融資させてください!」と、憎らしいほど厚かましく営業してきたので、丁重にお断りしました(笑)

 

このまま晴天が続くことを祈ります。

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